睡眠薬(ベンゾジアゼピン)は認知症の原因になる?

長年睡眠薬を飲み続けると認知症になるとか、睡眠薬の服用は認知症を引き起こす、などと言われることがあり、不眠症の患者さんの不安を引き起こしています。

現在の睡眠薬の主流は「ベンゾジアゼピン系」と言われる薬物です。よく知られた薬物名として挙げれば、ハルシオン・レンドルミン・ロヒプノール・ユーロジン、といった薬があります。デパスやソラナックス、ワイパックスという「抗不安薬」と呼ばれている薬も時には「睡眠薬」として使われていますが、これらもベンゾジアゼピン系です。このベンゾジアゼピン系薬物は、不眠症に限らず、うつ病や不安障害を含めて広くいろいろな病気に使われる薬なので、ベンゾジアゼピンの服用が認知症を引き起こすという話を聞くと、ひどく心配される方がたくさんいます。

私は、臨床医として25年になりますので、10年どころか、40年の長期間に渡ってベンゾジアゼピンを服用してきた患者さんをたくさん見ています。当院を開院してからも10年以上になりますから、10年以上の間、私が責任持ってベンゾジアゼピンを投与してフォローしている患者さんも多々います。そんな私の実感からは、睡眠薬(ベンゾジアゼピン)は、認知症を引き起こすことは無い、と言えます。

睡眠薬に関して時々ある誤解は、睡眠薬が「寝ぼけ」を引き起こすことからの連想として、睡眠薬の服用が認知症を引き起こす、と思われることです。たしかに、睡眠薬は特に服用して数時間の間は、寝ぼけるような現象を引き起こすことがあります。たとえば、自分でも知らないうちに多量の食べ物を食べていたり、知人にメールしてもそれを覚えていなかったりする(「せん妄」「健忘」と呼ばれる現象です)ことがあります。こんなことが起きると時には危険でもあります(俗に言う「夢遊病」のように歩いてしまうこともあり、転んでケガをする危険があります)。

しかし、睡眠薬が「寝ぼけ」を引き起こすのは、あくまで薬が効いている数時間のことであって、次の日の晩以降に薬を飲まなければ「寝ぼけ」ることはありませんし、ましてや記憶力障害や理解力の低下などの認知症の症状が起きることはありません。

それでも、「寝ぼける」ことは無くても睡眠薬(ベンゾジアゼピン)を常用して服用を続けていれば、脳に悪影響を与えて認知症を引き起こしはしないか、という疑問を持たれる方は多いでしょう。
よくある誤解の一つは、「睡眠薬が脳に蓄積する」という誤解です。水俣病における有機水銀のように、ひとたび服用した睡眠薬が脳のどこかにとどまって脳細胞を傷める、という誤解です。これに関しては、ハッキリと否定できます。他の向精神薬もそうですが、睡眠薬はその都度体内で分解されて排出されることがわかっています。

ただ、そんな理屈よりも、実際には長年睡眠薬を飲んで認知症になっている人がいるじゃないか、それはどう説明するのか、と疑問に思う人もいるでしょう。たしかに高齢者に不眠症が生じて、睡眠薬で治療しているうちに認知症を発症する人もいます。一方で、睡眠薬を飲み続けても認知症を発症しない人もたくさんいます。先にも述べましたが、私の不眠症治療の経験からは、睡眠薬が認知症を引き起こすことはないと思っているのですが、一人の医者の意見では説得力がないと思われる方も多いと思います。こんな時、参考になるのが、多数の患者さんをフォローして統計を取って解析する、「臨床疫学」「臨床統計学」です。

では、その統計学は、睡眠薬の服用と認知症発症の因果関係についてどのように結論づけているでしょうか?

ベンゾジアゼピン系薬物は、市販されてから60年になろうとしている薬物であり、当初から脳への悪影響を疑われていたため、その点につき世界中で研究され、様々なデータがあります。不眠症になってベンゾジアゼピンを服薬し始めた患者さん数百人の経過をフォローしただけのデータもありますし、大きな調査では、万単位の人につき、健康な人も病気の人も含めて、生まれてから死ぬまで数十年に渡って追跡調査する研究(「コホート研究」)もあります。たとえばコホート研究ならば、睡眠薬(ベンゾジアゼピン)を飲み続けた人たちと、睡眠薬を飲まなかった人たちを比べて、認知症の発症確率がどの程度差があるか、がわかります。
ベンゾジアゼピンと認知症発症の関係につき、コホート研究のような大規模調査を含め、いろいろな調査研究がありますが、総合してみると、疫学的には、睡眠薬の服用によって認知症発症が多くなることはない、とするか、わずかに発症頻度が高い、とする結論が多いようです。

このように聞くと、「一部の研究であっても、睡眠薬を飲んで認知症を発症した人が多かったというデータがあるなら、睡眠薬が危険であるという証拠ではないか」と思う方もいるでしょう。しかし、ここはデータの意味を考える必要があります。
一般に認知症は、物忘れ(記憶障害)・失行(会話、読み書き、服の脱ぎ着などの動作が困難になるなど)という症状から始まることが多いのですが、その他にも、情緒不安定、抑うつ状態や不眠症が認知症の初期症状となることがあるのです。つまり、物忘れよりも先に、不眠症や抑うつ状態から始まる認知症がある、ということです。そのようなケースでは、既に認知症としての変化が始まっている(認知症は、脳細胞が変質して死滅していく病気です。そのような脳の変化が始まっているという意味です)のですが、物忘れがハッキリする前に不眠症が生じているわけです。その場合、睡眠薬を服用し始めた後に、認知症だと判明するわけです。
そうすると、このようなケースでは、睡眠薬が認知症を引き起こした訳ではなく、認知症の初期症状の一つである不眠症に対して睡眠薬が処方されただけ、と言えます。先のように統計的には睡眠薬を飲んでいる人の方が認知症になる割合が少し多いのは、このような事情があるからだと説明されます。この考え方のもう一つの傍証としては、長期間睡眠薬(ベンゾジアゼピン)を飲んでいる人の方が短期間睡眠薬(ベンゾジアゼピン)を飲んでいる人よりも認知症を発症した割合が少ない、というデータがあります。これを単純に言えば、若年期・中年期から不眠症で睡眠薬を長期間飲んでいる人よりも老年期に睡眠薬を飲み始めた人の方が認知症発症のリスクが高い、ということです。裏を返せば、睡眠薬(ベンゾジアゼピン)の長期間服用は認知症発症のリスクにはならない、ということです。

このような事情がありますので、現在では、疫学的な調査研究の立場からも、睡眠薬(ベンゾジアゼピン)が認知症の原因になる、と結論づけることは少なくなってきました。もちろん、これからの医学的知見の積み重ねにより今後また違った結論が出てくる可能性はありますが、ベンゾジアゼピンは市販化されて70年になろうとしており、世界中で億人単位の人が服用していますから、認知症との関係について、これ以上新たな知見は出てこないように思います。

ただ、ここで私は、ベンゾジアゼピンを安全な薬だとして勧めるつもりはありません。特に老人において、中でも認知症になりかかっている人は、「寝ぼけ」(せん妄)を起こしたり、筋弛緩作用によって足元がもたついて転倒する危険があります。また、体内に長時間作用する睡眠薬(ベルソムラ、ロヒプノール、ユーロジンなど)は、昼間の集中力低下をもたらす危険があり、交通事故や物の置き忘れなどのトラブルを起こす可能性があります。
また、ベンゾジアゼピンは、心理的に依存しやすい薬でもありますので人によっては過量に服用したくなる場合もあります。不眠が改善したらなるべく減量していくことを勧めます。

いろいろお話ししましたが、薬物の副作用に疑問を持たれた時は必ず主治医に相談して下さい。ネットや週刊誌に出てくる偏った情報のみ見て自己判断で中止することは危険です。

水谷雅信
水谷心療内科<岐阜県多治見市>。心療内科・精神科)
TEL: 0572ー23ー8411