『自分でできるスキーマ療法ワークブック』

認知行動療法(CBT)について、患者さんから「自分で読んで勉強になる本があれば紹介して欲しい」と頼まれることが度々あります。

認知行動療法では、不安障害(パニック障害、社交不安障害、強迫性障害など)や、うつ病の人が陥りやすい思考に着目します。たとえば、「彼は私を嫌っているはず」、「私は生きている価値がない」、「彼女は私のことを醜いと思っている」、「汚れている、掃除や消毒をしないと」(不潔恐怖)、「無意識に車で人をひいてしまったかもしれない」(加害強迫)、などなど、人がなぜか自然にそのように思えてしまう、そのように考えてしまうこと(「自動思考」と呼びます)です。その自動思考に気づき、自動思考の根拠を問い(「本当に自分は”醜い”のか」「本当に”不潔”なのか」と検討していく)、自動思考に基づく行動、たとえば「醜いと思われるから外出しない」「不潔だから何度も掃除する」「不注意だから車で引き返して確認する」といった行動を変えていく(あえて外出してみるとか、過剰な掃除を控えるとか、引き返して確認しない、とか)、それにより自動思考も変わっていく(考え方に柔軟性が生まれる)、という感じで治療が進んでいきます。

認知行動療法がアメリカから日本に導入され始めたのは、私が精神科医になった1994年頃だと思います。当時の日本では、認知行動療法は、治療者である精神科医やカウンセラーが勉強して患者さんのカウンセリングで生かすための、言わばプロのための手法でした。しかし、1995年にアメリカの学会に行った私は、現地では小さな書店でも、認知行動療法に関した「セルフヘルプ本」(カウンセラーや精神科医など他人の力を借りずに悩む人が自力で治すためのガイド本)が一つの大きなコーナーになるくらいたくさんあったことに驚きました。

精神疾患に限らず、糖尿病でも何でも病気を自分で治すこと、「セルフヘルプ」することができるならばそれは最高です(「医者いらず」であり、私たち医者の仕事は少なくなりますが、悩む人にとってはお金もかからないので福音でしょう。)。私はその頃から、アメリカの「セルフヘルプ本」に注目していました。結構な数の本を読みました。当初は英語の原書でしたが、まもなく日本語訳が続々と出てきました。そうした訳書もたくさん読みました。確かに優れた本が多々あります。

しかし、現時点で、認知行動療法についてのセルフヘルプ本の訳書は、どうもしっくりこない表現が多く、その実践の手法にも首肯できないものが多いのです(これは日米の文化の差異によるものかもしれません。アメリカンジョークで日本人には笑えないものが多いのと同じ理由かもしれません。)。では、認知行動療法について日本人が書いた入門書は、というと、こちらはこちらで表層的なものが多いのです。その結果、患者さんから「認知行動療法のセルフヘルプ本のお薦めは?」と尋ねられても、選びあぐねたものでした(精神科疾患全般についてのセルフヘルプ本でお薦めは?と尋ねられれば迷いなく、神田橋條治の『精神科養生のコツ』を薦めます。こちらは本当に良い本です。精神科疾患が無い人でも健康に資するところ大きいです。)。

そんな日本の状況でしたが、この本、『自分でできるスキーマ療法ワークブック』は認知行動療法のセルフヘルプ本として、薦められます。

「スキーマ」(schema)という耳慣れない単語を題名につけるのは、まだ日本語としてこなれていない感じを否めませんが、いざこの本を読んでみると、表現はむしろポップで、堅苦しくなくて良いです。身をもって実感できる、わかりやすい言葉で書かれています。心理療法、カウンセリングは、難しい言葉や洒落た言葉ではなく、「腑に落ちる」と言われるように、身体感覚として伝わる言葉のやりとりが大事です。そういう意味で、著者の伊藤絵美氏の治療者としてのセンスが伝わってきます。

とかく、認知行動療法に関するセルフヘルプ本に関すると、知力でもって精神症状や感情的な問題を何とかしようとする方が読むことが多いのですが、そういう方が陥りやすい点にもちゃんと配慮して、この本には始めに丁寧な註が書かれています。著者も強調しますが、ここが一番大事なところです。セルフヘルプに取り組む人にに対して、強調しておいてし過ぎることはないので、引用します。

「読むのではなく、ワークに取り組みましょう」(「まえがき」より):繰り返しますが、ここが一番大事です。認知行動療法は、ただ頭で考えて理解する(「認知」)だけではなく、実際に感じてみる、実行してみるという実践(広い意味での「行動」)の両方が大事です。ネットで検索して得る「情報」とは異なる認識なのです。私自身も、自分に迷いや悩みが生じた時、認知行動療法の「ワーク」をやってみて実感したところです。

もう一つ、大事なことを著者は強調します。

「とにかく孤独にならないでください」(「まえがき」より):一人孤独に「セルフヘルプ」をするのは大変なことです。「なぜ私はいつもこんな風に考えてしまうのか」と自問していくと、現在のストレス状況のみならず、生い立ちや出会いなど、これまでの人生全てを振り返ることになりかねず、それは場合によっては途方もない作業になり、一人で行うには危険でもあります。ガイド無しに初めての高山に登るようなものです。そのような作業を進める際には、カウンセラーや精神科医に限りませんが、迷った時に相談できる人を確保しておくことが大事です。

以上、セルフヘルプ本を読む際についての大事な注意点につき、取り上げました。後は、伊藤絵美氏も言うように、じっくりと時間をかけて実践していくのみです。