2017年新春ご挨拶

みなさま、明けましておめでとうございます。
今年は私の干支の酉年で、年男となりました。医者になるまで24年、医者になってから24年で、人生の半分を医者として働いてきたことになります。なんだか感慨深いものがあります。

30年前の私は、この48歳になる年を一つの目標に思っていました。この年まで生きていれば何ができているか、どんな顔をしているか、それが自分の人生を一番表現している、そんな夢想をしていました。当時はまだ医学部に入るつもりもなく、別の進路を考えていました。翌年に急きょ進路変更して医学部に入学した時も、精神科など毛頭になく、外科志望でした。

それが、熊木徹夫先生の影響もあって精神科を選んだものの、若気の勢いで名古屋を離れて神戸大学に進み、神戸大学で学び続ける予定だったのが急に石垣島に・・・と進み、ついには多治見市に開業して早10年、という展開。振り返れば、何か一つのことを志して一つの場所で「一所懸命」になる、という古風な生き方ではなかったように思います。場当たり的な生き方、とも言えますが、自分では、ずっと一貫して「現場主義」だったと思っています。

医者たるもの、目の前の患者さんを治してなんぼの世界、医療に関することなら何を尋ねられても答えることができて当たり前、 という理想だけは持ち続けて仕事をしてきた、と振り返って思います。

現場主義の医者は、どうしても「よろづ相談」「御用聞き」的になります。今の私は、専門はもちろん精神科・心療内科疾患なのですが、関連する心身症(過敏性腸症、アトピー性皮膚炎、喘息など)に限らず、抗がん剤治療、歯科治療、整形外科治療など、専門外についても 様々な問題について相談を受けています。

それだけでなく、嫁姑問題、転職、アルバイトで何をするべきか、離婚すべきかどうか、相続問題をどうするか、宗教が違う相手との結婚をどうしたらいいか、占いの結果をどう受け取るべきか、などなど、精神科心療内科と他の医療や福祉関係の境界分野どころか、それを大きく超えた相談を受けるので、私の知識を超えるし手に余るわけですが、そこは自分がよく知る専門家にうまく紹介・相談するなどして、なんとか上手くやっているつもりです。

思えば私は小さい時に、「よろづ相談」を引き受ける人に引きつけられたと思います。

僕が住んでいた下町の米屋さんは、米に限らず何でも扱っていました。餅は当然のこと、ジュースやお菓子、さらには灯油の配達もしながら、あちこちの家で御用聞きをしていました。その米屋さんは学校の先生のこともよく知っており、先生に虐げられていた子どもや親の相談に乗りアドバイスしていたし(当時の先生は今と違って絶対の権威であり、今のように親や児童が学校にクレームするなんてことはできない時代でした)、学区を越えて越境入学したいという人に対しては自分の店舗兼住宅の住所貸しまでしていました。借金や交通事故の示談の相談など、自分でわからないことがあれば、自分の知り合いを紹介する、というふうです。

そんな米屋さんがうちに出入りしている時に親と話しているのを聞くと、子どもながらにいろいろと世間を知るものです。米屋さんの話は名古屋の戦災や戦後の闇市にいたることもあり、聞いているだけで社会や歴史の勉強にもなりました。

米屋さんは米を売るだけではない、情報通であり、知恵と工夫のある、プロフェッショナルな「よろづ相談」職なのだと思いました。

その米屋さんの系列に入れると失礼になるかもしれませんが、私が尊敬する中井久夫先生は、ハイレベルな「よろづ相談」医者だと思っています。

中井久夫先生には、いくつもの輝かしい業績があり過ぎて、それを書き出すことさえ大変ですが、私にとっての中井先生は、「医療現場で問題ではあるけども医療者に解決策がなくて行き届いていないこと」に対し、いろいろと知恵使い、工夫されるところが大きな魅力です。

河合隼雄の箱庭療法を見てそれを統合失調症の治療に生かすために風景構成法という芸術療法を編み出したことは有名ですが、たとえば中井先生の『こんなとき私はどうしてきたか』という本の中では、暴力を振るう患者さんからどのように身を守り対応するか、脳梗塞の意識障害の人にどうやって治療的なアプローチをするか、など、精神科医療とは直接関係のないことでも現場で使える知恵やコツが書かれており、そんな実践的な工夫、それをわかりやすく書いた文章が多々あり、それらを私は好みます。

日本人はありあわせの物を使って目の前の問題に対処する能力、「ブリコラージュ」の力に優れている、と中井は言いますが、それは中井その人にこそふさわしい表現だと思います。

さて、現在私は町医者として、よろづ相談的なことをしていると言いましたが、本音を言えば、大変なこともあります。

患者さんに良い医者を紹介して欲しいと頼まれて、私自身が病気になったらかかりたい、と心底思っている良心的な医師を紹介したら、その先で暴言を吐いて帰ってくる人、 私が個人的に懇意にしている税理士さんを紹介したらさんざん相談しておいて相談料一つも払わずに逃げてしまった人など、私の大切な個人的な関係にヒビが入りかねないようなこともあり、そんな時は紹介先に実際に会ってお詫びしたり、電話や手紙などでやりとりして関係修復に努めるので、大変な労力を払うのです。(単に丸投げして終わり、では、良きネットワークは維持できません。診療時間以外に診療のためにどれだけの労力をさいているか、わかりにくいことだとは思いますが)

もちろんこちらも相手を選んで、自分の体を張ってでも個人的なネットワークを使うほどの事態かどうかを見極めるようにしているし、経験を重ねることにより、紹介する人と紹介先の人との相性につき、ある程度は勘がはたらくようになってきましたが、根っからの下町気質、「よろづ相談」体質なのでしょうか、ついつい情が入りすぎて肩すかしにあったり、深入りしてしまいます。

そのあたりの実践の難しさは、中井久夫先生もよくわかっておられて、「贔屓(ひいき)の引き倒しはするな」「(臨床医は)”赤ひげ先生”になってはダメ」とあちこちで書き、話されていました。今、私はこの年になり、中井先生がそのように言っていた意味がやっと実感としてわかってきたように思います。

同時に、自分はなぜかこのようにしか生きられなかった、という宿命も感じています。

小林秀雄の次のような文章が身にしみる年となりました。
「人は様々な可能性を抱いてこの世に生れて来る。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である。この事実を換言すれば、人は種々の真実を発見する事は出来るが、発見した真実をすべて所有する事は出来ない、或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息するであろうが、彼の全身を血球と共に循る真実は唯一つあるのみだという事である。雲が雨を作り雨が雲を作る様に、環境は人を作り人は環境を作る、斯く言わば弁証法的に統一された事実に、世の所謂宿命の真の意味があるとすれば、血球と共に循る一真実とはその人の宿命の異名である。或る人の真の性格といい、芸術家の独創性といい又異なったものを指すのではないのである。この人間存在の厳然たる真実は、あらゆる最上芸術家は身を以って制作するという単純な強力な一理由によって、彼の作品に移入され、彼の作品の性格を拵えている。」(『様々なる意匠』小林秀雄)

芸術家に限らず、米屋さんでも会社員でも町医者でも、「身を以って」一生懸命に仕事をしてきた人間ならば、どこかで「その人の宿命」を感じることでしょう。

私もまた、「雲が雨を作り雨が雲を作る様に、環境は人を作り人は環境を作る」宿命に導かれながら、私を信じて治療を受けてこられた患者さん方や、私を支えてくれるスタッフや関係先、こんな文章を読んで下さる方々に感謝し、また、今年もまたこの多治見で出会うであろう方々を楽しみにしております。

今年もよろしくお願いします。

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