広場恐怖とは

昨今、パニック障害の患者さんが増えています。パニック障害の患者さんには「広場恐怖」症状が伴うことが結構あります。

パニック障害は、突然動悸がしたり、息苦しくなって呼吸が荒くなったり(過呼吸)、「このまま死んでしまう」「気が狂ってしまう」などと思えて苦しくなるといった、パニック発作(不安発作)が生じる病気です。心臓もどこも悪くないので、救急病院を受診して精密検査を受けても何も異常が見つかりません。

パニック障害の患者さんは、パニック発作を何度も起こすわけではなく(大きなパニック発作を起こすのは一生に1回だけ、もしくは数回以下までの方がほとんどです)、「またあの発作が起きないか」との不安(予期不安)に悩まされます。
一度起きた発作があまりにも辛かったから、もう一度あの発作が起きるのは絶対に嫌だ、という気持ちから、予期不安は持続しやすいものです。

パニック発作が最初に起きる時は、電車や車の渋滞などの「逃げられない」と感じる場所(専門的には「閉所」と言います)か、仕事や学業などで多忙であった後に「ホッとした」時に起きることが多いのです(この発作はプロスポーツ選手にもよくあり、彼らが引退間際か引退直後に起きやすいのです)。
パニック障害の方は、最初に発作が起きた場所や状況、季節などを強く覚えているので、それを回避し、電車や車に乗ること、人混みに行くことを避けるようになります。ひどい場合は、家から出られない、「広場恐怖」になり、自宅に引きこもります。

この、広場恐怖という状態、自宅から外出することを怖れる状態が、1990年代前半に精神科を志した当時の私にはよくわかりませんでした。
当時からアメリカの精神医学の文献ではやたら広場恐怖について書かれていましたが、そんな患者さんがイメージできませんでした。
当時の日本にはまだ「ご近所」意識が残っていました。まだインターネットも無い時代です。

1995年の阪神・淡路大震災においても、あの山口組が炊き出しを行うなど、まだ「ご近所」を大事にする風潮は残っていたように覚えています。
名古屋の下町から神戸の下町に移り住んだ私にとって、アメリカ人が「広場」をそんなに怖れる感覚が実感としてわかりませんでした。(神戸大学の精神科の先生方も同様な感想を持っていた方が多かったように記憶します。)

そのように、少し前までの日本では、田舎ならば近所の人とは顔見知りだし、都会でもある程度近所とのお付き合い、ネットワークがあったものでした。

「ご近所の手前、悪いことはできない」というように、「世間」を意識したものです。
「ご近所」は「しがらみ」「付き合い」などが付きもので、窮屈な面もありますが、逆に、「ご近所」とその延長である「世間」は、「安全」な空間でもあります。
倒れている人がいれば助けるのは当然であり、見て見ぬ振りなどできません。
そういう「ご近所」感覚のある地域は、自宅の延長線上であり、怖ろしい場所ではありません。
「ご近所」とは、以前にお話しした「中間距離」に当たる距離感の人々が住む空間と言って良いでしょう。

しかし、最近では、多治見市のような町でもマンションが急増し、同じ建物にいながらも挨拶もしないか顔も知らないということは珍しくありません。
このような時代にあっては、自宅の玄関ドアを開けて外に出ればそこは「広場」。
どこの誰ともしれない人たちが往来する場所であり、自分が倒れても助けてもらえないかもしれません。
倒れた自分から財布を奪っていく人間もいるかもしれません。

「倒れることができない」広場と、「倒れてもご近所が助けてくれる」ご近所とでは、出かける時のプレッシャーが全く違うのではないでしょうか。
パニック障害の人は「発作が起きて倒れたらいけない」と意識すると余計に緊張感が高まる(予期不安が強まる)のです。(多治見市や土岐市のような地方の小都市でも広場恐怖の患者さんが増えました。)

そのように考えてくると、「他人は信用できない」心理が広場恐怖の根底にあるようです。
実際、広場恐怖の患者さんと話していくと、そのような信念が口にされることは珍しくありません。

昨今流行りの認知行動療法のカウンセリングでは、そのような信念の現実的な妥当性(「他人は信用できるか」「外で倒れたら本当に誰も救ってくれないだろうか」)を検討していくのです。
広場恐怖の患者さんは家の外を怖れすぎている、それは「認知の歪み」であり、訂正すべきだ、という考え方に基づきカウンセリングしていくのです。

確かにそれは有効なアプローチの一つですが、この時代にあっては、家の外(=「広場」)を怖れることは現実的な妥当性を持つのです。
昨今、ご近所でも素性の知れない怖い人が増えているかのように感じさせる事件のニュース(近所の人に拉致監禁されたとか)が多々あるので、近所の人であっても怖れることは決して現実的な妥当性を欠くと言えないことになります。
それなのに、広場恐怖の患者さんが「認知の歪み」を持つと断定して「だからダメなんだ」と断罪するような「カウンセリング」を時々耳にします。
それは残念なことです。

真に治療的なカウンセラーならば、広場恐怖を持つことは「この時代この地域に生きていくために必要な警戒心」として肯定的な側面もあることを認め、患者さんにもそれを伝えることでしょう。
その上で、その「警戒心」の上手な使い方を検討していくことになるはずです。

その結果、「広場を怖れない」という消極的な目標ではなく、「ご近所」「顔見知り」「なじみの空間」をいかに広げていくか、という建設的な目標を考えていくことが治療的になると思います。

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