職場のメンタルヘルス、福祉国家

私は、育った家庭が貧しかったので、医者としては、最もアルバイト経験があると思います。
(現在、教育格差が叫ばれますが、それは昔からのことです。昔から医学部の学生はお金持ちの子どもが多かったのです。ただ、格差が年々拡大してきているのは間違いありませんが。)

私は、履歴だけから見れば医者しかやっていない人間ですが、実はいろいろな職場を身をもって知っています。
(貧乏生活は自慢にもなりませんが、今の仕事には生かされていると思っています。いろいろな患者さんの職場状況が肌身の実感としてわかるのです。)

貧乏学生にとっては、短時間で高収入が得られる仕事が魅力でした。期間限定とか、こちらの都合で働く時間を選べる仕事が魅力でした。時給だけで言えば、家庭教師が一番ですが、それは1日2時間程度で、しかも夜に限定、移動時間を含めば決して割の良い仕事とは言えません。そのため、家庭教師より時給は安くとも、早朝や年末年始、夏休み春休みなど短期限定で仕事時間も選べる仕事、たとえば新聞配達や宅急便、引っ越し業、卸売り市場での作業などは私には好都合でした。

宅配便や引っ越し業の会社で、筋骨たくましいおじさんたちに混じって汗を流してきたのは今でも良き思い出です。おじさんたちと一緒に働き、日曜朝にはソフトボールの試合に出て(体育会系のおじさんたちのハイレベルには驚きました)、仕事もほどほどにしていろいろな話をしたのは人生経験になりました。

私はいくつかの運送会社で働きましたが、90年頃に働いていた、ある中堅の運送会社は、別の大手の、今で言う「ブラック企業」的な運送会社(そちらは今も時々メディアを騒がせていますが)で体を壊した人や、心身に疲労を来した人の転職の受け入れ先でした。
「前の会社におったら給料は良かったけど体がもたんかったわ。ここに来て良かった。」というように話していた社員さんは何人かいました。働く会社を選ぶことは大事だな、と未成年の学生の私は思いました

しかし、その会社もその後急成長を遂げました。その後のインターネット普及、宅配便増加の波に乗り、ずいぶん「成長」を遂げました。社員さんたちは喜んでいるだろうな、と想像していました。

しかし、ここ10数年ほど、その会社に勤める患者さんが何人も私の所を受診し、その労働環境をうかがうと、私が勤めていた頃と違って、労働者を大事にするどころか、
ずいぶんと労働者をこき使い、時には使い捨てにするほどの会社に変容していることがわかりました。
配達する社員はGPSでその動きを会社に監視され、配達の合間には新規顧客を開拓すべく営業をすることを要求されます。毎年、人事課の上司からは勤務態度を数値でチェック・評価され、そういう権限を笠に着た上司からパワハラ的な言動もあります。
同じ会社の社員でも、80ー90年代には配達の合間に煙草を吸ったり喫茶店に寄ったりしていたのです。まさに隔世の感があります。この会社の変容ぶりには、残念でならないものを感じています。

でも、考えてみれば、営利を目的としている会社としては当たり前だとも思います。会社が成長している時代には社員を大事にし、会社の成長が止まれば社員の首を絞めてでも利益追求のために血道を上げる。会社としては合理的な行動と思います。これは、戦後の日本の福祉政策と同じ道ではないでしょうか。国は、高度経済成長期には勤労者を大事にし「福祉国家」となり、経済停滞期に入ると勤労者の負担を高め、「自己責任」を強調し、貧困問題には目を閉ざし、経済的弱者の困窮は顧慮しません。

しかし、国と営利企業が同じ基準で物事を考えていくのは、はたして良いことなのでしょうか?