小学生の頃、私は教師という仕事に憧れていました。勉強を教えるだけでなく、子どもの人格形成に関わる仕事は、とてもやり甲斐があると感じていました。それは今でも変わりありません。患者さんの回復・成長を見ているとこちらが元気をもらえます。この仕事をしている役得だと言えるでしょう。
ただ、自分が教師になるという夢は、思春期の頃には諦めかけていたと思います。何せ、昭和時代の名古屋の下町です(「心療内科医として必要な知恵は全て下町の商店街で学んだ」)。校内暴力全盛時代でもありました。子どもに暴力を振るわれて大怪我をした教師もいました。奇抜な形の学ランを着てバイクを乗って校庭に「登校」してくる生徒も目にしました。親は親で、刑務所にいるので家庭不在であったり、また、不倫やギャンブルにうつつを抜かして子どもどころでなかったりしました(今で言うネグレクトです)。そんな状況を見ると、私が教師になっても、これは手に負えない、やっていけないと思えました。
しかし、そんな環境の中でも、尊敬すべき先生に巡り会えたのは、運が良かったと思います。たとえば、ある先生は、統合失調症を発症した生徒の妄想の話にとことん付き合い、その生徒の家族に対しては、生徒が発病前にどれだけ良い子であったかを力説し、「病人扱いばかりしてはかわいそうだ、よく受け止めてあげるように」と説得していました。その対応は、今の私が医学的に考えると誤った部分もあったのですが、危機にある人を支えるという視点では全く正しいどころか、ヒューマニスティックな実践として、医師として、いや、人としての姿勢として、尊敬すべきものでした。たとえどんなに「狂った」人であっても、まず人間として受け止めること、相手が精神病を患い苦悩しているならば、どのように苦しんでいるのかをよく聞いて共感すること、それを先生は実践して、私に教訓を与えてくれました。
別の先生は、非行に走る生徒にとことん更正を促し、時には親代わりの世話をしていました。生徒が学校に来なくなれば毎朝彼の家に迎えに行き、時には一緒に登校していました。その姿は兄弟のようでした。その先生はまた、今で言う発達障害の子どもがイジメを受けないように、生徒たちをよく観察して、時には子どもたちの交友関係に介入し、調整を図っていました。先生の実践は、私が非行少年や発達障害の子どもを相手にする時に参考にさせていただき、今も役立っています。
そんな尊敬すべき先生方の一人に、先日、30数年ぶりにお目にかかる機会をいただけました。まもなく定年を迎える先生は、「俺は『金八先生』が嫌いだ。彼(武田鉄矢、元教員養成課程)は『本物の生徒たちよりもこのクラス(ドラマのセットの子どもたち)の子どもたちの方が好きだ』と言っていた。あれは偽物教師だ。俺は逆だ。リアルの生徒だったお前たちみんなを好きになれた。教師として良かったと思う。」などと話されました。その先生の教育実践の苦労を知っているだけに、私は感動しました。これこそが本物の教師であり、そんな先生に教えていただいたことは、私の人生の宝だと思うし、実際、今この仕事をしている時にしばしば先生のことを思い出して参考になっているのです。
『3年B組金八先生』のように、理想のドラマ通りには、現実は進みません。教育の世界のみならず、私たちの診療、臨床という実践も同様です。時に、人間愛の理想に燃えて精神科医・心療内科医を目指してこの世界に入り、失望される人がいます。現実のこの世界は、私がお世話になった下町の教師が体験したように、泥臭い仕事が入ってきます。愛や情熱だけで乗り切れる世界ではなく、知恵と工夫、忍耐強さが要求されます。そのあたりについては、俗世間の実際をよく観察しながらも聖なる世界への渇望を持ち続けていた作家ドストエフスキーが鮮やかに描いています。ーー「『それとそっくり同じことを、と言ってももうだいぶ前の話ですが、ある医者がわたしに語ってくれたものです』長老が言った。『もう年配の、文句なしに頭のいい人でしたがの。あなたと同じくらい率直に話してくれましたよ。もっとも、冗談めかしてはいたものの、悲しい冗談でしたな。その人はこう言うんです。自分は人類を愛してはいるけど、われながら自分に呆れている。それというのも、人類全体を愛するようになればなるほど、個々の人間、つまりひとりひとりの個人に対する愛情が薄れてゆくからだ。空想の中ではよく人類への奉仕という情熱的な計画までたてるようになり、もし突然そういうことが要求されるなら、おそらく本当に人々のために十字架にかけられるにちがいないのだけれど、それにもかかわらず、相手がだれであれ、一つ部屋に二日と暮すことができないし、それは経験でよくわかっている。だれかが近くにきただけで、その人の個性がわたしの自尊心を圧迫し、わたしの自由を束縛してしまうのだ。わたしはわずか一昼夜のうちに立派な人を憎むようにさえなりかねない。ある人は食卓でいつまでも食べているからという理由で、別の人は風邪をひいていて、のべつ洟(はな)をかむという理由だけで、わたしは憎みかねないのだ。わたしは人がほんのちょっとでも接触するだけで、その人たちの敵になってしまうだろう。その代りいつも、個々の人を憎めば憎むほど、人類全体の対するわたしの愛はますます熱烈になってゆくのだ。と、その人は言うんですな」(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』 原卓也訳 新潮文庫)
私は、この小説の中の医者のように人類愛・理想を求めるがあまりに、目の前の患者さんのことを疎ましがったり憎んだりしないように、と自戒しています。病める人に対する共感や愛情を大事にしながらも、その理想が、ドストエフスキーがここで言う抽象的な人類愛にとどまって自己満足に陥ってしまわないように、と注意しています。そういう時、小中学校でお世話になった先生方の実践を思い浮かべると、臨床を続けていくための知恵と勇気をいただけるのです。