「巻き込み型強迫」と愛着の関係:強迫症の人と「甘え」

強迫性障害(強迫神経症、OCD)の人の多くは、他人と親密な距離を作るのが苦手です。彼らは潔癖なところが多いので、他人との身体的な接触を嫌います。たとえば、握手する、飲み物を飲み回しする、などの行為です。自宅に他人を招くことも「不潔」と感じるので、他人との交流も少なくなり、浅くなります。「不潔」恐怖の延長で性的な接触も嫌がれば、異性との交際もできなくなります。
また、強迫性障害の人は、強迫行為に時間をかけてしまって行動が遅くなってしまうこともあって、約束の時間を守れないことも多々あります(強迫性緩慢)。そのために彼らは「マイペース」と言われて嫌われてしまうこともあります。

しかし、そういう彼らの特徴の長所を挙げれば、強迫性障害の人は「自分をしっかり持っている」とも言えます。彼らにとっては「自分は自分、他人は他人」です。彼らは、他人がどう感じているか、他人のことを「我が身のように」感じて共感することは不得意ですが、他人に同情し過ぎて流されることが少なく、物事を冷静に判断できる長所がある、とも言えます。

そんな理性的な彼らは、「甘え下手」です。「甘え」とは、自分と他人が同じ感覚を共有している、他人は自分の気持ちをわかってくれている、という信頼感が無いと生じない現象です。子どもが親に甘える時、親は自分をわかってくれている、親の気持ちは自分と同じ、という無意識的な信頼(時には一方的な思い込みですが)があります。他人の心と自分の心が一緒である、という感覚です。
しかし、強迫性障害の人は、「自分」「我」の自意識が強すぎて、「我を忘れる」ことがなかなかできないので、甘え下手なのです。(この点では社交不安障害の人に似ています。社交不安障害の人もそうですが、強迫性障害の人もまた、「私」「僕」という一人称単数形で話すより、「私たち」「僕ら」と複数形を使うことを心がけ、「一緒」「同じ」「みんな」という言葉を多用して、自分と他人との共通部分を意識していくと楽になれます。)

さて、そんな彼らは、他人との距離を置いて、他人と心を通わせることを嫌うばかりなのでしょうか。そうとは言い切れないところがあります。

巻き込み型強迫(行為)」と呼ばれる強迫行為があります。精神科医の成田善弘先生が名付けた強迫行為です。一般に強迫性障害の人は、不潔恐怖なら不潔恐怖で、自分で掃除や手洗いなどの強迫行為を一人で繰り返すことが多いのですが、中には、家族、友人や恋人を強迫的確認行為に巻き込むことがあります。たとえば、家族に掃除を繰り返しさせるとか、「不潔」と感じられた家族の衣類を着替えさせるとか、家族に繰り返しの手洗いや入浴を強要する、などの行為が「巻き込み型強迫行為」に当たるのです。

巻き込み型強迫(行為)をする患者さんは、もちろん「不潔」「不吉」などの強迫観念に駆られて家族に確認行為をお願いしています。不安の解消のために致し方なく家族を巻き込んでいるのです。しかし、強迫症状が治った患者さんが振り返って語る話を聞いたり、患者さんや御家族とのカウンセリングの中で私たちが考える視点からすると、巻き込み型強迫は一種の「愛情確認」である、と考えます。巻き込みをする患者さんは、巻き込む家族と「いつもくっついていたい」という気持ちを持っています。そのため、家族が短時間でも不在になるとひどいパニックを起こすこともあります。家族を強迫行為に巻き込みながらも、いつか家族に見捨てられないか、と内心いつもビクビクしているのです。それは、乳幼児が母と離れたがらない状態と同じで、患者さんの心の中では、家族を強迫行為を行わせるのが目的ではなく、いつも家族がそばに居てくれること、家族が自分を大事にしてくれることを確認することが真の目的なのです。ただ、強迫症の患者さんは、そういう自分の甘え感情を自覚できていないことが多いので、強迫症状だけが自分の問題だと思いこんでいて、家族を確認行為に巻き込むことを繰り返すのです。

巻き込み型強迫性障害の治療

こう考えてくると、巻き込み型強迫の治療では、強迫神経症だから認知行動療法、と単純に考えて対応していては、誤った治療になってしまいます。「確認行為を止める」だけを目的とした行動療法だと、「巻き込みをやめる」ことが治療目標となってしまい、それは、患者さんの立場からすると「家族と引き離される」恐怖感を抱きますので、かえって治療に拒否感が強まり、巻き込みが悪化することもあります(初歩的なカウンセラーや精神科医が行いがちな誤治療です)。
巻き込み型強迫の根底には家族との「愛情確認」である(心理学的には「愛着attachment」の問題と呼びます)と考える立場からすると、巻き込み行為を減らすことを第一目標にはせず、より良い愛着関係を構築することを目標とします。たとえば、家族と一緒に出かけて観光するとか、一緒に家事をするとか、一緒に音楽を聴いたり映画を見たりして楽しむ、などです(少し古い歌ですが『あの素晴らしい愛をもう一度』にあるように、一緒に「同じ花を見て美しい」と共感するような体験が良いのです。)。患者さんを支援する御家族が、非生産的な巻き込み型強迫行為に付き合うことをせず、先に挙げたような生産的な行動をするように誘うことが治療的に働くのです。そうした体験を経て、家族に大事にしてもらい、支えてもらってもらっているという実感を得られた患者さんは、強迫観念が生じることが少なくなり、たとえ強迫観念や不安が強まっても、自分で対処していくようになります。それは、幼児がお母さんの愛情を受けて、困った時はいつでもお母さんの元に帰ることができるとの安心を持て、保育園に行ったり一人遊びをしたりすることを厭わなくなるのと同じです。言い換えれば、巻き込み型強迫の患者さんは、愛着を寄せる家族にうまく甘えることができて安心感を抱くことができれば、自然と症状は良くなっていくものです。
昨今、「甘え」と言うと、悪いことであり避けるべきことのように思われがちですが、私たちは誰もが近親者に良き甘えをできた体験が無ければ情緒不安定になってしまうのです。良き甘え体験は心の成長に必要です。
こう考えてくると、巻き込み型強迫への治療的な対応は、子どもの不登校や大人の引きこもりへの対応と似ていることがわかります。不登校や引きこもりについては、稿を改めて書きたいと思います。