「障害」の表現についてーーDSMによる精神科診断の問題

パニック障害という病名がありますが、普段の診療でこの病名を使って話す時、いくぶんかの躊躇や戸惑いを感じています。

「パニック」の表現は良いのですが、そこに「障害」が付くと、一生付きまとう障害と誤解されかねません。実際、「障害」との病名にショックを受ける患者さんや御家族がいます。そのため私たちも病名を伝える時に「治る症状です。一生背負うような障害ではありません。」などと一々注釈が必要になります。実は治りやすい症状であるのに、「パニック障害」という呼称はいただけません。パニック障害については、昔からの病名、「不安神経症」のように、たとえば「パニック症」としていただきたいと思っています。

この病名の問題は、現在の精神科診断・疾患分類のスタンダードになってしまったアメリカの精神疾患診断基準DSMによる病名の訳語に由来しています(例えばパニック障害ならpanic disorderとの原語です)。DSMによる診断については、あちこちで批判されていますが(『<正常>を救えーー精神医学を混乱させるDSMー5への警告』アレン・フランセス著、講談社)、精神疾患の治療のことは考えずに単に精神疾患を分類するばかりで、診断が治療とつながっていないことが大きな問題です。(逆に、たとえば「肺結核」との診断では病気の原因の結核菌に対する抗菌剤を投与する、というように診断が治療につながるのです)。

医学診断の問題は、医学者の先生方とと私たち現場の臨床医との目的意識の違いに基づくものです。大学の医学者の先生方は、学者一般に言えることですが、とにかく曖昧なことが嫌いで物事を分類しないと気が済みません。学者さんにとっては、治療現場の問題はさておき、何を措いても系統立てて分類することが第一目的なのです(それはそれで学問としては大事なことで価値のあることです。中信宏著『系統樹曼荼羅ーーチェイン・ツリー・ネットワーク』を読むと分類という学問の美しさがわかります。)。そういう学者の先生方は訳語についてもこだわられるので、私がこんな愚痴をこぼしても仕方がありません。しかし、パニック障害についても強迫性障害についても、その「障害」英語の原語のはdisorder、つまり「(統計的に)普通・一般orderと異なっているdis-」の意であり、生活に困難や苦痛がある「障害」とされる意味でのhandicappedやimpairmentとは違っています。disorderを「障害」と訳すことは正確な訳語とは言えないことは強調しておきたいところです。

この点で精神医学においては、大変大きな問題をはらんでいます。「(統計的に)普通・一般orderと異なっている」を精神疾患disorderと定義するならば、小児性愛や「人を殺してみたい」「人が死ぬ過程が見たい」といった特殊な嗜好にとらわれて犯罪を犯す人たちはすべて「障害」とされてしまうのです。猟奇的であったり奇妙で残酷過ぎたりする犯罪の精神鑑定において、犯人が精神疾患とされるけれど、はたしてこの犯人は病気や障害なのか?と首をかしげる人は多いと思いますが、その疑問は、このような精神科診断体系の問題に端を発しているのです。

つまり、DSM診断のように精神科の病気を全部「障害」と呼ぶと、生活の困難や苦痛がある障害者handicapped,impairmentと、「普通じゃない・異常」disorderとが混同されてしまうのです。ナチス・ドイツにおいては、優性思想に基づき、集団の標準からズレているという意味でのdisorderである知的障害や精神障害の人たちが虐殺の対象となりましたが、残念ながら当時の精神医学がそれに荷担してしまったことは事実です(『精神医学とナチズム』小俣和一郎著、講談社)。

話が私たちの臨床現場から離れてしまいました。現場に戻したいと思います。

この「disorder=障害」表記の問題は、パニック障害よりも、「発達障害」や「人格障害」などの診断に至ると更に際立ってきます。発達障害や人格障害においては、多数派とは異なるという意味ではdisorderではあるのですが、発達や人格に他人と違ったところがあろうとも生活や仕事では何ら支障もない、つまりhandicapもimpairmentも持っていない人もたくさんいるわけです。それを一様に「障害」と表現するのはまったく不適切です。そのように「障害」と呼ばれる人にとっては、自分の生まれ持った資質や育ちに関する「発達」や「人格」について「障害」と呼ばれることは全くの心外でしょう。そうした事情への配慮から、「障がい」「障碍」という表記を使う医師もいますが、それでは不十分で、「発達症」「パーソナリティー症」くらいの表現が良いと私は思います。

どんな病気でもそうですが、特に精神疾患に関しては、言葉で患者さんに勇気や希望を与えることが大事です。患者さんが希望を持つことで自然治癒力が発揮されるのです。私たち臨床医は自然治癒力を引き出すことが大事です。

しかし、精神科疾患においては、DSM診断がグローバルスタンダードになってしまいましたから、「◯◯障害」との呼称は当面続きそうです。患者さんの側からしたら、不快で不安な病名だと思われるでしょうが、DSM診断は学者さんの趣味の延長として受け止めるにとどめ、自分の症状は「不安症」「発達症」「強迫症」「抑うつ症」くらいの症状としてととらえ、決して一生抱えるべき「障害」とか治らない病気などではない、と理解しておいていただきたいと思います。