躁うつ病(双極性障害)と青年期――「大人になる」とは

私たちがこの社会の中で、自分自身を「これが私」と認める「自分」、その「自分」を「アイデンティティ」と呼びます。

私たちのアイデンティティが形作られ始めるのは、自意識が芽生える中学生の頃になります。通常は中学生から20代までの間にアイデンティティが形成されます。その時期を精神医学は「青年期adolescence」と呼びます。

青年期は俗に「青春時代」と呼ばれます。「青春」には「春」の文字が使われていることに表れるように、元気あふれる幸せな時期と言われがちです。多くの大人は青年期・青春時代を振り返って「人生で一番楽しかった時期」などと言い、青年期の若者たちに向かって「今いい時でしょ、私も(青年期に)戻りたい」なんて話したりしますが、実際の青年期の若者たちの悩み深く、そう言う大人たちも青年期には楽しいことばかりではなかったはずなのです。大人たちは青年期の苦悩を忘れて何かと理想化する傾向があります。

その青年期の只中にある人たちには、次のような3つの課題があります。「第1は、親からの心理的独立である。大人に対して秘密を持つようになり、親子関係以上の親密な関係を築くようになる。第2は身体的変化(第二次性徴)の受け入れである。第3は自分らしさと自分らしい生き方の模索である。児童期の子どもは将来何にでもなれるとの幻想をもっているが、青年期になると平凡な自分に気づき、改めて自分とは何者なのかを問うようになる。悩みつつも、自分の人生はかけがえのないものであることに気づき、自分なりに生きることに意味を見出していくことが青年期の課題と言える。」(青木省三、『現代精神医学事典』弘文堂より。強調は引用者)

この3つの課題を達成できて初めて、人が自分を「私」と思えること、つまりアイデンティティが確立されます。アイデンティティの確立は「大人になる」ことの必要条件になります。しかし現代では、アイデンティティの確立は容易ではなく、先の青木がいう第1や第3の課題でつまづき、30-50代になってもアイデンティティが確立できずに迷い続けている患者さんによく出会います(かくいう私自身も他人事ではないと思っていますが)。彼らは特に、第3の課題、「自分とは何者なのか」「自分なりに生きることに意味を見出す」ことにつまづいているように思われます。

アイデンティティの確立に悩むことは青年期の葛藤の問題であり、その悩み自体は病気ではありませんが、こと双極性障害bipolar disorder(躁うつ病)の患者さんにおいてはその葛藤は大きくクローズアップされて表れてきます。双極性感情障害(躁うつ病)は、精神医学では「否認の病」であると言われます。以前にも少し書きましたが(躁うつ病(双極性感情障害)と中学生、「オモテ」と「ウラ」)、彼らは、他人のうわべや建前、長所のみを見て一見調子良く他人と交流します。それは、裏を返せば、相手を全人的に見ることができていないことになります。そのため彼らは、他人の短所や社会の裏側が見えてくるとたん、それを「否認」します。たとえば、相手からうまく利用されているだけなのに相手を「良い人」と言い続けることも一種の否認です。そのような否認を続けていると心身に無理がかかるので、抑うつ状態に陥ることもあります。

たとえば「双極性障害2型」の中年のAさんは、接客や事務職、作業員など、ありとあらゆる職種を経験し、どこの職場でも覚えが早く順応してきました。どこでも周囲からいつも高評価でした。しかしAさんは、いずれの職場でも就職当初は「良い人ばかり」の環境だと喜び元気に働きますが、数週間~半年ほど働くと先輩職員や同僚らの嫌な部分(「ウラ」)が見えてきて折り合えなくなり、躁うつの気分変動とは無関係に見える時期に退職することを繰り返しています。また、仕事や人間関係がうまく行っていても、急にモチベーションを失い、抑うつ状態になり退職せざるを得ないこともあります。Aさん自身、「なぜか私はいつも仕事が続けられない」と嘆きます。時には「私って何かと思う」「働く意味、生きる意味がわからない」と悩みます。悩みが強くなった時には哲学的な思考を深めたり、瞑想に励んだりします。

双極性障害(躁うつ病)の方すべてがAさんと同じように行動するわけではありませんが、Aさんのように、ある面では社会的に器用なのに生き辛さを持つ双極性障害の人は結構多くいます。そんな彼らを評して「大人になれていない」と言うのは表層的な見方と言えます。(精神医学が双極性障害を「否認の病」と呼ぶだけでは「大人になれていない」との非難と同じことを言い換えただけと言えます。)

なぜそれは表層的な見方なのか? 私は、Aさんのような双極性障害の方は「働いてお金を稼いで家庭を持つ」といった、この社会の常識的な価値観や体制の中に居場所を見つけて安息の場を得ることだけでは収まりの悪さを感じ、どこかでこの世を超えた世界、世俗から離れた普遍的な価値(「超越」「真理」「神」の世界)を追い求めている、と思うのです。言い換えれば、Aさんのような方は、「何のために働く」「生きる目的」といった問題に対して世間一般の安直な答えでは満足しない純粋さを持っている、と言えます。「聖」と「俗」との葛藤に悩んでいる、とも言えます。そのような葛藤について、この世で適応して健康に生きている一般人の多くは、あまり深く考えずに生きているように思われます。そういう点で、むしろ健康な一般人の方が「否認の病」にかかっている、と言えるかもしれません。双極性障害の治療に当たっては、このような逆説的な視点を持つことも必要だと思っています。