躁うつ病(双極性感情障害)と共感・創造力:「一流の狂気」とは

躁うつ病(双極性障害、双極性感情障害)の人の中には一般よりも優れた能力を持つ人が比較的たくさんいて、中には天才的なレベルにまで達している人もいます。それは、私もこれまでの臨床経験で実感しています。

しかし、躁うつ病はもちろん病気ですから、病気の人が一般の健康な人よりも優れた能力を持つ、というのは奇妙に聞こえる人も多いと思います。一方で、「天才と狂気は紙一重」、とは大昔から言われてきたことです(およそ2500年前のアリストテレスが指摘していますし、この100年ほどの間にも何人もの精神医学者が指摘しています。私の師匠の中井久夫も『天才の精神病理』(岩波現代文庫)の中で天才の例を挙げて解説しています。)

心を病む人、一般とは違う精神特性を持った人が時代を変えるような働きをすることは、躁うつ病に限らず、統合失調症、不安障害(不安神経症)、うつ病、発達障害、パーソナリティ障害(人格障害)など、他の精神疾患でも見られることですが、特に、躁うつ病と天才的な能力との関係、なかでも躁うつ病とリーダーシップとの関係に焦点を当てた論考として、今回は『一流の狂気ー心の病がリーダーを強くする』(ナシア・ガミー著、山岸洋・村井俊哉訳、日本評論社)を挙げたいと思います。

ガミーは、危機の時代にあっては、常識人的な人物よりも精神的に病んでいる人の方が集団を良い方向に導く例を挙げています。例えば、アメリカ南北戦争の時のマクラレンに対するシャーマン、第二次世界大戦のイギリスにおけるチェンバレンに対するチャーチル。いずれも前者は常識的で善人ですが、戦時のリーダーとしては無能であり、逆に後者はエキセントリックでファナティックですが(ガミーの診断では躁うつ病、もしくは躁うつ病の体質である発揚気質)、結果として危機を乗り切る有能なリーダーであったことを鮮明に描いています。

ガミーは、戦争のような危機的な状況だけでなく平時にあっても、たとえば起業家がライバルと競争して会社を大きく成長させる時にも、躁うつ病の人が活躍する、もっと言えば、躁うつ病もしくは躁うつ体質(発揚気質)こそが社会的成功を生み出した、とも説きます(例:CNNテレビのターナー)。

ではなぜ躁うつ病・発揚気質の人が天才的な能力を発揮するのか。ガミーは四つの要素をを挙げます。その四つとは、リアリズム(正しい現実認識)、レジリエンス(反発力、回復力)、エンパシー(共感)、クリエイティビティ(創造力)です。その中でもガミーは、共感力や創造力に天才の能力の淵源を求めます。

エンパシー(共感)とは何か。細かく話すと難しくなりますが、ここでは簡単に言って「他人の気持ちがわかる」「他人と心を合わせて動ける」「仲間全体の意見をまとめられる」と言って良いかと思います。

躁うつ病の人は、その共感能力が高く、他人の気持ちを察することに長けています。「仲間」「友達」「同志」を作り上げる能力が高いのです。そのような共感能力に長けたリーダーとして私たち日本人がよく知る人としては、西郷隆盛を思い浮かべるのが良いでしょう。西郷は情に厚く、男からも女からも(犬からも?)慕われ、敵対関係ができても相手に対し温情を忘れずにいました。日本の各地に彼に魅了され、彼を慕う人ができました。彼は、自分とは違った立場、いろいろな境遇にある人とコミュニケーションする能力に優れていました。ひとたび相手と意気投合すれば一心同体、運命共同体となりました(僧侶の月照と一緒に入水自殺を図ったエピソードに典型的に表れています)。

仲間や同志を作って良い関係を築ける協調性という点ではうつ病の人も同じく得意なところですが、躁うつ病の人には、社交性があり集団のリーダーとなるエネルギーがあります。集団の持っている問題が何であり、それを解決するためにはどのように集団を導いていけば良いのか、という問題発見・解決能力に優れています。そのような問題発見と問題解決能力のことをガミーはクリエイティビティ(創造力)と呼んでいます(ピカソのような独特な作品を創り出す創造力とは違う意味合いでの創造力なのです)。

このように書いてくると、躁うつ病は良きリーダーになるためにはむしろ有利な病気と思われ(実際、ガミーの本の邦訳の副題は「心の病がリーダーを強くする」となっています)、躁うつ病の人に元気・勇気を与えるところもあり、それはそれで結構なことです。しかし、たしかに一部の天才や成功者に注目すると躁うつ病は独創性や生産性のある病気なのですが、躁うつ病という病気自体は本人にとって、もしくは家族や部下など周囲に人にとっては苦しく、時には自殺や迷惑行為、反社会行為など、悲劇的な問題を起こすことも多いのです。(ガミーの本の中ではヒトラーの章にその悲劇的な側面がよく描かれています)

私のような普通の町医者の観点からすると、躁うつ病の共感能力や創造性などの魅力的な側面に惹かれるところはあっても、あくまで患者さんの健康と命があってのことですから、患者さんが天才的な能力を発揮することを目標にはしていられません。たしかに躁うつ病の躁状態は、エネルギーにあふれて創造力が高まる時ではありますが、躁状態は病気の状態ですから必ず終わりが来て、その後には必ず抑うつ状態になります。躁状態が激しければ激しいほどその後の抑うつ状態が強いものになります。その時の抑うつ状態では「死にたい」という希死念慮が強まり、実際に自殺を企てる人もいます。また、躁状態の期間に比べ、うつ状態の期間は長く、患者さんの苦しみは強いものです(かのウインストン・チャーチルもうつ状態を「黒い犬」と呼んで抑うつをひどく怖れていました。)。

そういう実情を踏まえると、躁うつ病の治療としては、まず躁状態を予防するか躁状態を軽く済ませることが目標となります。しかしながら、ガミーが描いたように、躁状態には凡人が真似できない大きな仕事をできる場合があるので、患者さんや周囲の人が躁状態を待望することがあります。私が治療した芸術家や実業家のケースでもそういうことがありました。このような場合、患者さんやご家族の希望を無視して単なる躁状態の鎮静という「治療」を押し付けずに、躁うつ病(双極性障害)の病気について説明し、躁状態の後の抑うつの苦しさ、自殺企図などの危険を理解していただきながら、患者さんの生きがい、人生の目標をも加味しながら、一緒に治療目標を定めていくことになります。

心の病全てにわたって言えることですが、病む人には何らかの魅力や特長があり、それに惹かれる人々が周囲にいます。そんな魅力や特長が治療を妨げるように見えることもありますが(経験が少ないか思慮の浅い精神科医やカウンセラーはそのように見なすこともありますが)、彼らの魅力や特長を否定した治療は結局成功しません。たとえ医学的な治療が上手く進んだとしても患者さんは幸せを感じません。患者さんを真に満足させ、生き生きとしてもらうためには、彼らの生き甲斐や人生観をも顧慮して治療に当たるべきだと思っています。それが私の理想とする「納得診療」です。