躁うつ病(双極性感情障害)と中学生、「オモテ」と「ウラ」

小学校への入学が、ADHDなどの発達障害の子どもたちが不適応になる機会になることについては、以前にお話ししました。

今回は中学生時代についてのお話です。

中学校への入学は、躁うつ病(双極性感情障害)になりやすい体質(循環気質)を持った子どもが失調を来たし始める時期になります。躁うつ病体質子どもは、発達障害の子どもたちと違って小学校の時の適応は良いものです(世間一般の子どもたち平均より適応が良いのです)。彼らは明るく快活で、相手の気持ちにうまく合わせることができて、協調性があります。そのため、友達も多く、初めて出会った人にも打ち解けやすく、先生のウケも良いのです。そんな彼らの性格を一言で言うならば、素直、純真と言えるでしょう。

しかし、そんな彼らにも、中学校という壁が立ちはだかります。

中学生になると、教師や大人たちから矛盾したことを言われるようになります。「個性を大事に」「自分というものをしっかり持て」と言われながらも、制服や細かな校則を強制され、「協調性が大事」「場の空気読め」と言われます。学力でも体力でも点数化・序列化がなされ、「社会は競争だ、勉強しろ」と言われながらも、「仲間を大切にしろ、力を合わせろ、助け合え」「社会貢献・奉仕の精神が大事だ」などとも言われます。

もちろん、そのように一見矛盾する表現は、現実には相反するものではありません。この世の中で生きている大人が使い分けている現状なのです。社会や個人には、「オモテ」と「ウラ」(「ホンネ」と「タテマエ」)の両面があります。「オモテ」も「ウラ」も、どちらかが間違っているわけではありません。どちらかだけでは社会も個人も成り立ちません。

しかし、躁うつ病体質の子どもたちは、先にお話ししたように純粋なので、オモテとウラを使い分けるのが苦手です。彼らは、物事や他人の長所と短所の両面を見ることが難しく、長所(オモテ)だけを見る傾向にあります。小学生時代は、「オモテ」の世界に合わせればそれで十分とされるので彼らにとっては過ごしやすいのですが、中学生になると、そうはいきません。例えば、ある子が表面上では仲良しにしているのに裏では相手の悪口を言っている、という状況を目の前にした時、純粋な彼らはどう反応して良いかわからなくなり、戸惑うのです。そのように、中学生の頃になると、いやがおうにも他人や社会の「ウラ」の話を見聞きするようになるので、彼らはそれを受け入れるのに困難を感じ始めるのです。

小学生時代に快活で元気だった子が中学生になると急に性格が暗くなったり、体の調子を崩したり、急に成績が落ちたり、不登校になったりすることがありますが、そういう子は躁うつ病体質(循環気質)の可能性があります。

実際、成人以降で躁うつ病を発症した人に中学入学の頃の話を聞くと、このような失調状態があったと思い出される方が多くいます(その頃に精神科や心療内科にかかった、「うつ病」と診断された、と言われるケースもあります)。

その点で、成人でも躁うつ病を診断する時に中学入学前後の様子を尋ねることは大変参考になりますが、昨今はDSM診断に見られるように、現在の症状だけを見る安易な精神科診断が流行っているので(それは患者さんがネットで自分でチェックリストから自己診断するのと大差ない安直ものなのですが)、精神科医も心理士も中学生時代の変化にあまり注目しない傾向です。

そのためでしょうか、中学生の躁うつ病が「うつ病」と誤診されることは多くなっている印象です(もちろん、この時期の抑うつ状態は、社交不安障害やパニック障害、発達障害、統合失調症など、鑑別すべき疾患が多くて、本来診断が難しいものですが)。

話が躁うつ病からズレてしまいましたが、躁うつ病体質の子が中学時期に人や社会のオモテ・ウラを見て精神不安定になった時にはどうしたら良いのか、という治療の話に戻します。

先にお話ししたように、彼らは純粋で一本気なので、彼らとは逆の性格、つまりオモテウラを器用に使い分ける人とは無理に付き合わない方が良いのです。そういう人たちとも合わせることはもちろん必要ですが、無理をしても病状はひどくなるだけです(彼らに対し「もっと大人になれ」なんていうのは最悪です)。まず彼らは、同じように純粋な気質の子どもたちと接していき、親しい関係を深めていくか、「オモテ」の面だけで気が合う子でもいいから、より多くの友達を作っていくことが良いでしょう(社交的で相手の調子に合わせられるは彼らの天性の能力なので、それを生かさないともったいないのです。彼らは「ありのままでいい」のです。)。そうして気の合う人と気の合う程度で付き合っていく、また、その時の気分のままに付き合っていくうちに、時には傷つくこともありますが、必ずいくらかの人からは好かれて評価を受けます。そうやって人生経験をたくさん積むことで、彼らがオモテウラを使い分けることも徐々にできていくようになるものです。私たち医師やカウンセラーは、彼らがその長所を最大限に生かして社会を生きることを勇気づけて応援し、彼らが壁にぶつかった時にその都度のアドバイスをしていくことになります。そのように、基本は子どもの成長を見守りながら時々必要な手助けをすることは、優れた学校の先生がしている教育と、思春期の精神科心療内科の治療とで共通します。私たちの医療と教育が似てくるポイントなのです。