うつ病と「正しい」思考

以前にも少しお話ししましたが、うつ病の患者さんが認知行動療法(Cognitive behavioral therapy:CBT)を始めたい、患者さんの御家族が認知行動療法を受けさせたい、という要望が増えています。

認知行動療法については以前も紹介しましたし(『自分でできるスキーマ療法ワークブック』「うつ病と認知行動療法」)、厚労省からも患者さん用に参考になるサイトが紹介されていますし、たくさんの自己治療本(セルフヘルプ本)が出ていますので、認知行動療法の詳細はそちらに譲ります。今回は、うつ病の方が認知行動療法の手法を使い自己治療(セルフヘルプ)を始めるに当たって、御本人や御家族が注意しておいていただきたい点をあげたいと思います。

認知行動療法では、うつ病の人は、たとえば「私のことを必要としている人など誰もいない」といった「自動思考」というフィルターを通して現実を「偏って」見るために、より悲観的になり、悲観的になるから更に気分が落ち込む、という悪循環を説明します。しかし、この悪循環の説明の時に誤解を招く表現が認知行動療法の本やサイトに時々見られるので注意なのです。例えば、うつ病の人は現実の受け止め方(それが「認知」の語の意味するところです)が「偏っている」とか、「認知のゆがみ」があるとか指摘し、そういう間違った認知を「修正」するのが認知行動療法である、とするのです(先にあげた厚労省のサイトにも「修正」の表現があります)。こういう表現では、うつ病の人の現実判断は間違っており、うつ病の人は「考え方が悪いから病気になる」と誤解されてしまいかねません。(「考え方が悪いから病気になる」、との非難は、これまで何度も患者さんやご家族から聞いてきて、毎回心が痛む思いがします。)

実は、うつ病の人の悲観的な自動思考(「私は嫌われているに違いない」「生きていても良いことはない」「働いていないと生きる資格はない」「私が死んだって誰も悲しまない」「私は悪いことをしてきた」など)は、けっして「非現実」な思考ではありません。その思考は「修正」すべきことではないのです。そのようなうつ病の人の悲観的な思考(予測)は、現実にあり得ることです。一方、逆に楽観的に健康に生きている人の思考(予測)が、必ずしも「現実的」とは言えないのです。健康な人は、自分が他人に嫌われているかもしれない可能性や、失職したり病気になったりする可能性などのリスクをあえて考えないようにしているだけ、とも言えます(心身とも健康な人が、たとえば健診で癌の疑いがかかったとか、勤めている会社の株価が少し下がっただけで急にひどく狼狽したりします。)。私たちの目の前にある「現実」は、良いこともあるし悪いこともあります。他人は疑ってかかるべき人もいれば全面的に信用して任せた方が良い人もいます。地震や竜巻のような自然災害、交通事故のような人災について備えることは大事ですが、そういうリスクを考え始めればきりがなくなり、身動きが取れなくなることもあります(地震、交通事故、他者からの非難や攻撃が怖ければ自宅に引きこもることが正解となりますが、それでは良い人と巡り会ったり観光して楽しむチャンスを逸します。逆に楽観的過ぎて、しかるべき注意をしなければ災害や交通事故に遭いますし、他者をむやみに信じると詐欺に遭うこともあり得ます。)。

私たちがこの現実、この社会の中で生きていく時には、悲観的な予測を立てて備えをする姿勢と、楽観的に構えて行動し、時には他人を信用して助けてもらうような姿勢とのバランスが必要なのです。ですから、悲観的な思考も楽観的な思考もどちらもが「現実的」なのです。そう考えると、うつ病の人が悲観的に考えることは、けっして「非現実」「妄想」として否定するべきことではありません。ただ、うつ病の人の悲観的な思考は、私たちの目の前にある現実の悲観的側面だけをクローズアップし過ぎていることが問題なのです。逆に、楽観的過ぎる人も、現実のリスクを見ないでいることについて同じく問題があるのです。

このように考えてくると、うつ病の人の悲観的な自動思考は、やはり「偏っている」と言えます。うつ病の人は、現実の悲観的な側面と楽観的な側面の両面をバランス良く見られず、一つの考え方だけを信じ込んでいることが問題なのです。ただ、くどいようですが、悲観的なものの見方はそれも一つの正しい見方です。ですから、うつ病の人に対する認知行動療法においては、患者さんの悲観的な認知は、一つの正しい考え方として受け止めつつ、他の楽観的な考え方もあることを検討していくことが大事なのです。現実について多様な見方をすること、思考に柔軟性を持つことこそが大事であり、そのような柔軟な考え方を持てるようにすることが認知行動療法の目標なのです。

この点はとても大事なところなのですが、うつ病の患者さんやご家族は生真面目であり、思考や行動の「正しさ」「正解」を求める傾向が強く、「どう考えたらいいか」「どう行動したらいいか」と、唯一の正解を求めがちです。しかし、私たちが生きる人生の「現実」に唯一の正解はなく、悲観的になるか楽観的になるかの「のるかそるか」の判断によって人生が決まってくるものでもあります。その判断は私たちの人生そのものであるとも言えます。

しかしながら、この点においては、精神科医や臨床心理士なども、特に認知行動療法を志向する人はうつ病の患者さんと同じく生真面目な人が多く、「正しい生き方」「正しい治療」を求める人が結構おり、それがゆえに、認知行動療法の紹介において、「認知のゆがみ」「偏り」を「修正」して、「正しい」道に患者さんを導こうとする傾向があるので、最初に述べたような表現が出てくるのです。

この世で生きる中で、絶対に「正しい」と言えるものの見方や行動はありません。いろいろな方向から現実を眺める姿勢が大事なのです。そういう観点から、古代ギリシャの哲学者プラトンは、「正解」「真理」を一人称で書き連ねることを避け、相対する意見を出し合って対話をする形(ダイアローグ、弁証法の起源ですね)で書くことを好み、真理に近づこうとしました。私たちが認知行動療法を行う際にも、患者さんが思考の柔軟性を持ち、患者さんが自分の心の中で様々な意見を出して自己内で対話できるようにすることが目標となります(自分の心の中に治療者を作るわけです。そうなれば自己治療・セルフヘルプをほとんど体得したと言って良いでしょう。)。ただ、現実にそのような自己内の対話を一人だけで行うことはなかなか難しいことが多いので(かく言う私もそうです)、セルフヘルプ本も使い自分で考えながら、他方でご家族や友人、精神科医やカウンセラーと対話していくことが効率的な治療になると思います。