ビジネスマンと「発達障害」診断、「自己責任」

最近、このようなケースが時々あります。(下記は類似事例を複合させた架空のケースです)

ある金融機関の支店長。入社30年になります。あちこちの支店を渡り歩きながら、たくさんの業務や顧客対応を経験し、年々変わりゆく金融関係の法令をも勉強し、今の立場を得ました。

しかし、支店長という肩書きは立派なものの、昨今はモンスターカスタマーがたびたびやってくるので、結局は一番厄介な顧客を対応するのは彼の役目です。年々強調される「コンプライアンス」関係についても勉強を重ね、部下の管理をして(「パワハラ」にならないかと神経を使いながら)、週に一度は「店長を出せ!」と怒鳴る客がいる店の最高責任者として、法的に無理なことをごり押ししてくるヤクザ者の相手もしながら、何とか働いてきました。

当たり前ですが、こんなストレスフルな状況が続き、体力も低下していく中で、同じような働きを続けることはできません。彼は疲弊と不安を抱えた抑うつ状態になってしまいました。 彼の会社には精神科を専門とする産業医がいるため、 彼はまず産業医に相談しました。

産業医は、彼の状況・苦労を聞いた上で、 いったんは彼に共感する様子を見せたものの、
「あなたの話し方を聞いていると発達障害のように思われる」
と指摘しました。

彼は、自分は生まれつきの障害を持っていたのか、 そもそも今の仕事をする資質が無かったのか、と失望しました。
間もなく彼は私の所を受診され、上記の経過を話されました。彼は、緊張した表情で時折うわずった声、顔面のチックがあります。自分の気持ちを伝えるのに不器用な印象はあります。

しかし、こちらの理解を確かめながら状況を説明することはできるし、 話の流れから逸れた突飛な表現もありません。部下たちの気持ちについても察することはできるようでした。結婚して子どももおり、子どもたちの養育も妻に任せきりでもなく、 町内のつき合いもちゃんとされています。

彼の生育歴を聞くと、元々神経質で不安症的なところはあったでしょうが、 不安症の資質は彼の努力につながり、今の地位を得たと思われす。
このようなケースについて、以前ならば、「神経質という素因と環境ストレスによる反応性の抑うつ状態」 「適応障害」という程度で考え、「発達障害」とまでは見なされなかったと思います。

しかし、会社の産業医は彼を発達障害、 中でも「自閉症スペクトラム」とみなしました。
産業医はなぜそこまでの過剰診断をするのか、 中でも「発達障害」診断にセンシティブになっているのか、 疑問に思います。その理由が、何科の医者にもよくあるように、 何かと専門性を表に出したいという欲求に基づくものならば、 まだマシだと私は思っています。
(このケースのように社員を傷つけているだけでも既に悪いのですが)

私がここで、産業医の「発達障害」過剰診断の動機として推測して懸念するのは、 産業医が会社側のニーズを満たそうとするあまり、 発達障害の診断範囲をとても広く取っていないか、ということです。

上記のケースで言えば、 彼の精神失調の直接的な原因は業務上のストレスです。そのストレスを与えた責任の一端は会社にあります。もし彼が「適応障害」「うつ病」と診断されて、 自殺するようなことでもあれば、労災と見なされる可能性があります。

しかし、会社側からすれば、労災のような組織的な責任は回避したい。できれば、従業員の「自己責任」としたい。そういう組織防衛の論理が産業医の判断を狂わせ、 「適応障害」や「うつ病」と診断するよりもまず先に「発達障害」と 診断するように向かわせているように思います。
そうした産業医の姿勢は全く好ましくないと私は思いますが、 この現代においては、社会病理の結果として個人的な問題が起きても、 個人の病理、個人の責任とみなす傾向が強まっているので (生活保護受給者は「自己責任」、 貧しくて進学できない子どもも「自己責任」)、 産業医や会社が責められることは少ないかもしれません。

「現代はストレスの多い社会で精神疾患が増えている」と 言われながらも、 「発達障害」という個人的な資質を強調することにより、 精神失調を来した人に「自己責任」という責任を負わせて苦しめ、 会社や社会の責任を免除するような風潮があるように思えます。

そこには、はからずも精神医学が荷担してしまっているかもしれません。(かつては統合失調症や発達障害も、発病要因に 「親子関係」などの環境因を考えることが盛んでしたが、 今は障害者個人の「脳」の病理で考えるのが学会の趨勢です。)

メンタルヘルスの問題を診るときには、社会の病理なのか個人の病理なのか、 どちらもいくらかあるけどそれはどの程度の按配なのか、 と考えていくのが、臨床における良き常識、「中庸」のセンスだと思います。最近つい忘れられがちですが、私たち臨床医に求められている大事なセンスです。