「おとなの発達障害」研究会

先日私は、臨床経験20年から30数年のベテラン精神科医が集まる研究会に参加しました。その会の中では私は最年少クラスでした。

会のテーマは「おとなの発達障害」。現在の精神科臨床のトピックの一つです。
講師は還暦を超えた児童精神科医でした。児童精神医学専門を掲げながらも、発達障害の子どもが成人になってからも面倒見良く診療し、大人になってから自分が発達障害かもと疑問に思った人も診療しておられるとのことでした。
そんな講師が自分の臨床での失敗例をも提示されました。今回のような、参加者が不特定になる研究会で失敗例を出されるのにはかなりの勇気が要ります。(こんな尊敬すべき先輩がいる一方で、臨床経験が浅くとも、自分の失敗例どころか自分の診療上の迷いさえも外に出さず、症例検討会にケースを出すこともせず、慢心している精神科医のいかに多いことか、それは一般の方には知られていませんが。)
講師がそんな風に謙虚な人でありましたから、聴講者であるベテラン精神科医たちからも自然な疑問が発せられました。たとえば、「うつ病の中に双極性障害が隠れていないか、更には発達障害が隠れていないか、と意識して診療していくと思いのほか初診の患者さんの診察時間が延びてしまうのです。どうしたら良いでしょうか?」「発達障害と統合失調症で迷うケースが・・・」といった、診療の実際にまつわる疑問が遠慮なく出されました。講師もそれに対して真摯に答えていきました。皆が臨床の「仲間」「同志」となり、本音を語り合えてお互いが研鑽し合える、良い勉強会になりました。

現在、こと精神科診断に関しては、機械的な診断(DSM的な「操作的診断」)がスタンダードとされています。でも、そんな診断ならば、研修医でもできます。患者さん自身でも、ネットのサイトで診断できてしまいます。しかし、そのような操作的診断は治療上あまり役立ちません。操作的診断ではなく、目の前の患者さんがどのような体質を持って生まれ、どのような育ちをして、どんな出来事やストレスがあって今のような病状を呈するようになったのか、今後治療はどうなりそうか、というように、個別事例に則して考えた、専門家としての「見立て」を含めた病名をどのように告知するのか、そして患者さん側が病名をどのように受け取るか、そんなことを総合的に判断した上での診断が臨床精神科医には求められます。そういう診断を伝えることは精神療法の一部でもあります。
ある人が生まれ持った資質に関することを「発達障害」と伝えるには繊細なセンスが必要とされます。

先日の研究会が良かったのは、講師が開かれた姿勢で臨床の実際を語られたこと、患者さんの子ども時代の性格・資質に立ち戻る視点、そのノウハウを語られたことにより、私たちのようなオジサン精神科医が目の前の患者さんをより複眼的に診る視点が与えられ、さらには私たち自身の子ども時代をも振り返ることにより、診療行為以前に「人が生きる」ことの原点を見直したことがあったと思います。
「人は皆個性があり、発達論的精神医学の視点からすれば、健常者の多くにも発達の問題があります。どの教科もおしなべてできて、どんな人ともコミュニケーションできて、どんな状況にも対応できる人なんてほとんどいません。皆、得意不得意があります。それを私は『発達障害』とは呼ばず、『発達凸凹』と呼びます。しかし、誰もが年齢を重ね社会経験を経ることで、その人なりの発達を遂げていくのです。」などと講師は強調されていましたが、それは患者さんを勇気づけることでもあり、私たちオジサン精神科医を勇気づける話でもありました。オジサン精神科医が「発達」を続けていくに当たり、刺激をいただきました。