適応障害とは

うつ病との鑑別がよく問題にされる適応障害という診断名ですが、その適応障害という疾患についての厚労省のホームページによる解説を読んでも、なんだかよくわからないと思う人が多いと思います。この解説によると、適応障害の症状には、憂うつ感や不安症状、情緒不安定で暴力的になることもある(無謀運転や喧嘩、物を壊す)というし、適応障害の原因はストレスにあると言いながらも本人の適応力不足とも書いてあるのです。これでは、いったい何が適応障害の中心的な病状であり、何が病気の原因なのか、見えてきません。

そういうあいまいな定義のため、適応障害という病気についてイメージできず、「適応障害って、うつ病とどう違うの? パニック障害じゃないの? 人格障害じゃないの? 適応障害とか言ったって結局、"甘え""サボり"じゃないの?」という感想が時々寄せられます。私の経験でも、ある出来事をきっかけに統合失調症を発症した患者さんのご家族から、「仕事のストレスから病気になったみたいです。適応障害じゃないですか?」と尋ねられることがありました。適応障害といった曖昧な内容の病気が分類単位とされると、何でも適応障害に見えてくるのです。

実は、私たち心療内科・精神科専門医にとっても、適応障害という病名は、扱いが難しいところなのです。仕事のストレスで抑うつ状態を生じたケースで、「症状の原因は仕事」と思われ、その「原因」である仕事のストレスを軽減すれば(診断書を書いて残業を制限するとか、部署異動をするとか)、症状が良くなる、という見込みがある場合、診断書の病名に「適応障害」と書くことが多いのです。それは、会社に対して、「御社が課している業務が社員さんの過剰業務、負担になっていますよ。」という勧告の意味も込めて「適応障害」の病名を書くのです。

しかし、「ストレスの原因」であると見られ、仕事・家庭・学校などの環境を調整すれば症状が良くなる精神疾患は、適応障害だけに限りません。うつ病でも躁うつ病(双極性感情障害)でも強迫神経症でも、発達障害や認知症であっても、患者さんの状態に合わせた環境に調整していくことは、治療的になります。(体の病気や障害について言えば、「バリアフリー」の環境は健常者にとっても障害者にとっても過ごしやすい環境であることと似ています。逆に、「バリア」が多い環境は「障害者」をたくさん生み出すことになります:階段ばかりでエレベーターが無い地下鉄の駅を想像すればわかりますね。そのような環境では、筋力が足りない人は地下鉄利用に「障害」が生じるわけです。)

そもそも、どんな精神疾患であっても、何らかの環境ストレスが作用して生じるものです。極端な例えを言えば、認知症の王様がいたとしても、周囲がその王様の状態に合わせて環境を調整する(王様の公務を誰かが代行するとか、王様が物盗られ妄想を訴えてもそれに合わせて付き人が動き回るとか)ことにより、その王様には「認知症」の問題は無きものとなります。もちろん、その王様には脳内の変化(アルツハイマー型認知症に伴うアミロイド病変など)が生じていますが、そんな脳の変化と、「病気」として周囲が認めるかどうかは別問題なのです。言い換えれば、脳内の変化である、生物学的な「疾患」と、周囲が「おかしい」として問題にすること(「事例化」)とは、必ずしも一致しないのです。以前にうつ病の診断につき石垣島での臨床経験を引き合いに出しましたが(「うつ病と自責感」)、「疾患」として脳内に同じ変化が生じていても、環境によって「病気」として見なされる(事例化)かどうかが違ってくるのです。ある心身の不調の状態を、私たちが「(心の)病気」として考えるかどうかは、本人の苦痛があるか無いかはもちろん大きいのですが、周囲がその状態をどのように受け止めて、応対するかによって変わります。心の病気が脳血流などの検査で数値化して表すことが困難な理由には、こういう事情があるのです。

そういう意味で、適応障害に限らず、心の病気は全て、環境のストレスといくぶんかは関係しており、環境調整が有効だと言えます(もちろん、本人のストレスに対する強さ、「適応力」を強めることも有効です。)。心療内科の治療では、環境調整でストレスを減らすこと、生活指導やカウンセリングなどで患者さんがストレスに対して強くなるように援助すること、薬物療法で心身の調子を整えることが柱となりますが、それらのどこに力点を置けば治療的になるかを見立てる医師の診療力が大事だと思います。