インスタグラム、「インスタ映え」

「何をいまさら」と言われそうですが、スマホの写真アプリってびっくりするくらい画像も綺麗になってきましたよね。自分はインスタグラマーではないのですが、インスタグラムに関心ある領域の人のアカウントをチラチラと拝見することはあります。「これは素敵!!」とついつい目を留めたりする機会も多く、見ているだけで思わず引き込まれていきます。一枚の写真から受けるメッセージというものは大きくて、イメージはいくらでも膨らみます。例えば、部屋のインテリアの写真から、暮らしぶりや人となりを判断したりします。(私たちが行う絵画療法もイメージを大切にします。)
インスタグラムの場合、SNSでもあるため、見た人から「いいね♡」などのフィードバックが伴うところが特徴的かと思います。そこが本質だとすると、やはり、「できれば、良いイメージを与え続けたい」、という欲求が出てくるのは自然なことかもしれませんよね。そうなると、うかつに「気を抜いた写真」をアップできないような、「盛ったり」、演出しなくてはならないような、何らかの意識が働いてくる気がします。そうなると、インスタグラムは「日常」をありのままに切り取る記録ではなく、「いかに見栄え良く見せるか?」という、他人の視点優先での記録になりそうです。「うーん、疲れそう…」とか、「見栄えばかりを追求するのもどうなんだろう?」とも感じますが、それでも、「できれば良い瞬間を切り取って記録しておきたい」、「誰かとシェアしたい」、という素朴な欲求からのものなのでしょうね。
「インスタ映え」がすべてになっては本末転倒ですし、ちょっと怖いですが、日常生活や趣味や関心の広がりを視覚的にデジタルデータとして残していくことは、当たり前になってきたのかも。撮って残す写真のトーンや対象・構成などから、その時の撮影主の心の状態などをあとから振り返って、一つのコラージュのように眺めることもあるかもしれませんね。私たちの絵画療法でも、あえて絵を描かずに今までに描いてきた絵を並べて見直して話し合うと、新たな気づきが出てくることがあります。
インスタグラムやインスタ映えを否定する訳ではないのですが、写真をアップしない、という期間や、休止したりすることも大切かな、とも思います。本来のSNSは、あくまでツールの一つであって、生活の脇役に過ぎないはずですから。生活を彩ってくれるスパイスも濃すぎては料理本来の味が台無しになってしまいます。何事も、程よく楽しめるのが一番かな、と思います。