他人の目、自分の目

社会生活を営んでいる以上、誰しも免れないこと。それは、「自分以外の他人の目にさらされる」ということでしょうか。学校でも、「人が見ていますよ。行動に気をつけましょうね」と教わります。そうなのです、私たちは、生きていく上で、人目を意識せざるを得ないところがあるのです。確かに、人目があることで抑制されているような行動もあるかもしれません。ただ、見方によっては、相互監視(?)のようになりかねません。「他人の目」が作る安全やメリットもあれば、窮屈さも同時にあるのではないでしょうか。「他人の目」に囚われて、「どう見られるか?」が大きな物差しになりすぎて、「自分はどうしたいか?」という原点がぼやけてしまう。とくに、思春期の苦しさは、「他人の目」という見えない壁とどう折り合いをつけるか、という葛藤の繰り返しにあるようにも思われます。「他人の目、自分の目」、どちらも人間として成長していく上で不可欠な要素ではありますが、どちらかだけに傾きすぎると、やがて心身が疲れ果ててしまうでしょう。「他人の目」がイコール「自分の目」になってしまっていないか、ときには振り返ってみても良いかもしれません。